約1000年前、紫式部が書いた『源氏物語』。
実は、紫式部が自分で書いた原本は、現在まで残っていません。
それどころか、平安時代に書き写された『源氏物語』の写本も、現在は確認されていません。
では、なぜ私たちは今も『源氏物語』を読めるのでしょうか?
答えは、後の時代の人々が物語を書き写し、複数の写本を比較しながら本文を受け継いできたからです。
その歴史をたどると、古典文学が1000年も読み継がれる仕組みが見えてきます。
紫式部が書いた『源氏物語』の原本は残っていない
『源氏物語』は、11世紀初めに紫式部によって書かれたと考えられています。
光源氏を中心に、平安貴族の恋愛や人間関係を描いた、全54帖の長編物語です。
ところが、現在残っているのは紫式部の直筆原稿ではありません。
国文学研究資料館によると、紫式部の原稿だけでなく、平安時代に書写された『源氏物語』の写本も現存していません。
現在確認されている古い写本は、主に鎌倉時代以降のものです。
つまり、私たちが読んでいる『源氏物語』は、作者が書いた紙そのものではなく、後世に伝えられた本文なのです。
原本がないのに読める理由は「写本」にある

昔は、現在のように本を大量印刷できませんでした。
そのため、物語を広めたり保存したりするには、人が手で書き写す必要がありました。
これを写本(しゃほん)といいます。
『源氏物語』も、次のように伝えられてきました。
紫式部が物語を書く → 人々が書き写す → さらに次の時代へ書き写される → 現在に写本が残る
もちろん、すべての写本が無事に残ったわけではありません。
火災や紛失、紙の劣化などで失われたものもあったでしょう。
それでも、複数の人が書き写していたため、物語の本文が後世まで伝わりました。
原本が失われても、写本が残れば文章を読むことはできる。
これが、今回の疑問に対する最も大切な答えです。
藤原定家は『源氏物語』をどう守った?

写本には、一つ大きな問題があります。
人が手で書き写すため、文字の書き間違いや書き落としが起こることです。
さらに、長い年月の間に、異なる表現を持つ写本も生まれました。
そこで重要な役割を果たしたのが、鎌倉時代の歌人藤原定家(ふじわらのていか/さだいえ)です。
定家は『源氏物語』の写本を調べ、本文を整える作業に関わりました。
定家が校訂に関わった本文は、一般に青表紙本(あおびょうしぼん)と呼ばれる系統につながっています。
現在の『源氏物語』の本文にも、この青表紙本系統が広く用いられています。
ただし、定家が紫式部の原本を発見したわけではありません。
定家の時代にも、すでに原本から長い年月が経過していました。
定家は、残された写本をもとに、より信頼できる本文を求めたのです。
『源氏物語』の写本は3つに分けられる

『源氏物語』の写本は、本文の特徴によって大きく3つに分類されます。
| 分類 | 特徴 |
|---|---|
| 青表紙本 | 藤原定家が校訂に関わった本文の系統 |
| 河内本 | 源光行・親行父子が校訂した本文の系統 |
| 別本 | 青表紙本・河内本のどちらにも属さない本文の総称 |
ここで注意したいのは、別本が一つの統一された系統とは限らないことです。
また、同じ『源氏物語』でも、写本によって言葉や文章が少し異なる場合があります。
だからこそ、研究者は複数の写本を比べる必要があるのです。
研究者はどうやって元の文章を調べる?

例えば、同じ場面について、次のような写本があったとします。
- 写本A:「月はいと明るし」
- 写本B:「月はいとあかるし」
- 写本C:「月は明るし」
※これは説明のために作った例文であり、『源氏物語』の実際の本文ではありません。
研究者は、こうした違いを比較します。
ただし、多数の写本に書かれている表現が、必ずしも原文とは限りません。
どの写本が古いのか、写本同士にどのような関係があるのか、どの表現が文脈に合うのかなどを慎重に調べます。
このように、異なる本文を比較して、その成り立ちや伝わり方を研究することは、古典を読むうえで欠かせません。
現在出版されている『源氏物語』の本文も、こうした長年の研究に支えられています。
今の『源氏物語』は紫式部の文章と完全に同じ?
ここは誤解しやすいところです。
現在読める『源氏物語』が、紫式部の書いた文章と一字一句同じだと証明されているわけではありません。
原本が残っていない以上、すべての文字を直接照合することはできないからです。
それでも、鎌倉時代以降の写本や、古い時代の引用・注釈などを調べることで、物語の本文がどのように伝えられたかを研究できます。
古典を読むということは、作者だけでなく、その作品を残そうとした多くの人々の仕事にも触れることなのです。
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関連記事|名前や言葉にも歴史がある
『源氏物語』の本文が長い年月をかけて受け継がれたように、私たちが普段使う言葉にも、時代や社会との関わりがあります。
例えば、そば粉を使わないのに「そば」と呼ばれる沖縄そば。その名前には、地域の人々が守ってきた歴史がありました。

紫式部だけではない
紫式部の原本が残っていないのに、なぜ今も『源氏物語』を読めるのか。
その理由は、次の3つです。
- 写本によって物語が後世へ伝えられた。
- 藤原定家らが本文を調べ、校訂に関わった。
- 研究者たちが複数の写本を比較し、本文を研究してきた。
紫式部が物語を書き、その後の人々が書き写し、研究者が本文を調べる。
こうした長い積み重ねがあったからこそ、私たちは1000年前の物語を今も読むことができるのです。
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