江戸時代の長屋は家賃いくら!?|月500文で暮らせた庶民の住宅事情

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江戸時代の庶民は、どんな家に住み、毎月いくらの家賃を払っていたのでしょうか?

実は、江戸の庶民が暮らした「長屋(ながや)」には、家賃が月500文程度の物件もありました。

当時の大工などの職人にとっては、わずか1〜2日分ほどの賃金に相当する金額です。

しかし、その安さには理由がありました。

部屋は狭く、トイレや井戸は共同。現代のような風呂付きの住宅でもありません。

今回は、江戸時代の長屋の家賃と間取り、そして庶民の暮らしを支えた共同生活の仕組みを解説します。

目次

江戸時代の長屋の家賃は月500文だった!?

江戸時代、庶民が暮らす借家の代表的なものが「裏長屋(うらながや)」でした。

裏長屋とは、大通りに面した商家などの裏側に建てられた、複数の世帯が暮らす集合住宅です。

家賃は「店賃(たなちん)」と呼ばれ、長屋の種類や時代によって異なりました。

例えば、江戸後期の長屋については、次のような金額が紹介されています。

長屋の種類月額家賃の例
安普請の棟割長屋約500文
一般的な裏長屋約800〜1,000文

※江戸後期の家賃を紹介した資料に基づく一例です。すべての長屋がこの価格だったわけではありません。

つまり、月500文という家賃は、特に安い長屋の一例だったのです。

月500文は現代の何円?

江戸時代のお金を現代の円に換算することは簡単ではありません。

ただし、仮に1文=20円として計算すると、

500文 × 20円 = 10,000円

となります。

つまり、月500文は現代換算で約1万円という計算です。

ただし、これは特定の換算基準を使った参考値であり、現代の家賃1万円と同じ生活水準だったという意味ではありません。

なお、磯田道史氏が監修した『新版 江戸の家計簿』では、江戸時代の長屋の家賃について、現代換算で月4,875円という例も紹介されています。

このように、換算方法によって現代の金額は大きく変わるのです。

長屋はどれくらい狭かった?|わずか4畳半ほどの生活空間!

江戸の裏長屋には、「九尺二間(くしゃくにけん)」と呼ばれる小さな住宅がありました。

これは、間口が約2.7メートル、奥行きが約3.6メートルという間取りです。

建物全体の面積は約9.7平方メートル。

現在のワンルームマンションと比べても、かなりコンパクトな住まいでした。

長屋の中はどうなっていた?

典型的な九尺二間の長屋では、入り口を入ると土間があり、その奥に4畳余りの居室がありました。

土間には、かまどや水がめなどが置かれていました。

一方、奥の部屋は食事や休息、就寝などに使われる生活空間です。

つまり、現代でいう小さな1Kのような構造だったのです。

しかも、そこに一人で暮らすとは限りません。

夫婦や子どもなど、家族で生活することもありました。

江戸時代の長屋は、限られた空間を工夫して使う住まいだったのです。

トイレも井戸も共同!?|長屋の意外な生活事情

長屋の家賃が安かった理由の一つは、住宅設備が非常に簡素だったことです。

現代の住宅では、台所・トイレ・浴室が室内にあるのが一般的ですが、江戸時代の裏長屋では事情が異なりました。

① 井戸は共同で使用

長屋の住人は、路地に設けられた共同の井戸などを利用していました。

各家庭に水道が引かれているわけではないため、水をくんで部屋まで運ぶ必要がありました。

② トイレも共同

長屋には共同の便所が設けられていました。

住人たちは同じ設備を利用しながら生活していたのです。

また、江戸時代には排泄物が農業用の肥料として利用される仕組みもありました。

③ 風呂は銭湯へ

裏長屋の小さな住宅には、基本的に専用の風呂がありませんでした。

そのため、住人たちは町の湯屋(ゆや)、現在でいう銭湯を利用していました。

つまり、家賃が安い代わりに、水回りの設備を住人同士で共有する生活だったのです。

長屋の大家さんは、家賃を集めるだけじゃなかった!

江戸時代の長屋には、住人の暮らしを管理する「大家(おおや)」がいました。

ただし、当時の大家は、必ずしも建物や土地の所有者ではありません。

地主に代わって長屋を管理する「家守(やもり)」が、大家と呼ばれることもありました。

大家は家賃を集めるだけでなく、住人の管理や町の行政に関わる仕事も担っていました。

長屋で暮らす人々にとって、大家は日常生活と地域社会をつなぐ存在でもあったのです。

また、狭い路地に多くの世帯が暮らす長屋では、井戸や便所を共同で使うため、住人同士の付き合いも欠かせませんでした。

江戸の長屋は、単に安い住宅というだけでなく、人々が生活の一部を共有する共同体でもあったのです。

家賃500文は安かった?|大工の給料と比べてみよう!

では、月500文という家賃は、当時の庶民にとってどれくらいの負担だったのでしょうか?

江戸後期の文政年間(1818〜1831年)には、大工などの職人の日当が約324〜540文だったという例があります。

これを月500文の長屋と比較すると、次のようになります。

大工の日当家賃500文に必要な労働日数
324文約1.5日
400文1.25日
500文1日
540文約0.9日

※単純な計算例です。実際の労働日数や手取り収入、家賃は時期や条件によって異なります。

この数字だけを見ると、長屋の家賃はかなり安く感じられます。

しかし、職人の収入は毎日保証されていたわけではありません。

仕事がなければ収入は得られず、食費や衣服代、燃料代なども必要でした。

家賃が安くても、生活に余裕があるとは限らなかったのです。

ちなみに、江戸時代の大工や商人、奉公人がどれくらい稼いでいたのかについては、下記の関連記事で詳しく解説しています。

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まとめ|江戸時代の長屋は安い家賃と共同生活が特徴だった!

江戸時代の庶民が暮らした長屋には、次のような特徴がありました。

  • 家賃: 月500文程度の安い長屋もあった。
  • 間取り: 九尺二間の長屋では、約4畳余りの居室と土間があった。
  • 生活設備: 井戸やトイレは共同で、風呂は湯屋を利用した。
  • 住人の関係: 大家や近隣住民とのつながりが暮らしを支えていた。

江戸時代の長屋は、決して広くて便利な住まいではありませんでした。

しかし、限られた空間と共同設備を利用することで、庶民の生活を支えていたのです。

月500文という家賃の背景には、現代とは大きく異なる江戸時代の住宅事情がありました。

参考・出典

  1. 東建コーポレーション|江戸時代の貸家経営 — 裏長屋の家賃・設備・大家の役割
  2. 春陽堂書店|時代劇でござる【3】 — 月500文の長屋と職人の日当
  3. PRESIDENT Online|江戸の長屋の家賃と暮らし — 『新版 江戸の家計簿』を基にした長屋の間取り・現代換算
  4. 宝島社|『新版 江戸の家計簿』 — 書籍情報
  5. 国立国会図書館|『江戸の家計簿 新版』 — 書誌情報
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